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【地域特集】三津「旧鈴木家住宅」が国の登録有形文化財に 地域内で8棟目の登録

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 松山市三津の旧鈴木家住宅(松山市三津1)が今年3月、文化審議会の答申で文化庁の登録有形文化財(建造物)になることが決まった。

 松山市三津地区は古くから瀬戸内の海の玄関口として栄えた港町。今も築100年を超える古民家が多く残されており、現在松山市内に26棟ある登録有形文化財のうち、8棟が三津浜地区に集積することになる。

 今回、登録有形文化財になるのは、三津浜港にほど近い旧鈴木家住宅の主屋と離れの2棟。1903(明治36)年ごろ、米穀商を営んでいた鈴木勢美吉が建てた同家屋は間もなく築120年を迎える。

 

取り壊しの運命を逃れ「三津の風情と心地よい時間を過ごせる場所」に

 一時は取り壊しも検討されていた旧鈴木家住宅だが、三津浜の文化と歴史をつなげる活動に携わる岡崎麻祐子さんが同宅を買い受け、2014(平成26)年から翌年にかけて大規模な改修工事を実施。現在は自身も古民家暮らしをしながら民泊やレンタルスペースとして一般に開放し、「三津の風情と心地よい時間を過ごせる場所」を楽しめる場所に生まれ変わった。

 取り壊しの可能性もあった旧鈴木家住宅。文化財登録されるまでに蘇らせた家主の岡崎さんが三津の古民家に魅了されたきっかけは、同地区に店を構えるたい飯専門店「鯛(たい)や」(国登録有形文化財、昭和4年建築)との出合いだったという。

松山の郷土料理「鯛メシ」の専門店「鯛や」平成22年1月15日に国登録文化財(建造物)となった

 歴史の重みを感じさせる古い空間が、現在も生きた生活の場として使われていることに衝撃を受けた岡崎さんは、その後、足繁く三津に通い始めた。

 

古民家「木村邸」をベースに、活動のはじまり

 岡崎さんが、築140年の古民家「木村邸」(三津1)でイベントなどを開くようになったのは2008(平成20)年のこと。木村邸の管理人でもあり、三津浜商店街でイタリアンレストラン『フロア』を営む店主の徳永孝さんから「木村邸をベースにして主体的に動いてみたら? 何かあったら責任を持つから」と背中を押され、活動を始めたという。

「木村邸」行われているイベントの様子。ゆっくりと流れる時間を楽しみに訪れるリピーターも多い
 重厚で贅を凝らした古建築ながら、大屋根のたわみや壁の痛みなどが目立っていた木村邸は2017(平成29)年9月、屋根を始めとする主屋の大規模な保存修復工事に着手。

多くのボランティアスタッフが携わった木村邸修復工事の様子

 松山市の「美しい街並みのにぎわい創出事業補助金」を受け、保存を望む多くの人たちの力で修復工事を終えた「木村邸」は、2019(平成31)年3月「木村家住宅主屋・離れ・土蔵・風呂」が登録有形文化財になった。

 

「旧鈴木家住宅」との出合い。きっかけは「珍しい陶製の欄間」

 「初めて旧鈴木家住宅を訪れたのは、珍しい陶製の欄間があると聞いたことがきっかけだった」と話す岡崎さん。「この家は三津浜レンガ工場の社長を務めていた鈴木重義さんの住まいだったと教えてもらった。話に聞いていた欄間は、その工場で作られたものだったそう」


 「三津浜煉瓦工場」は1885(明治18)年創立。1950年代まで工場にそびえていた2本の大煙突は、誰もが知る街のシンボルだった

「初めてこの家の中を見学させてもらったとき、立派なお茶室に心を奪われた。さりげない意匠が上品で、往年の三津浜の風流人たちの暮らしがしのばれる家だった」と当時を振り返る。

旧鈴木家住宅の茶室「芭流朱庵」。二代目鈴木重義が、妻のために建てたものだった。

「旧鈴木家住宅」取り壊しの運命を逃れ新しい持ち主の手で未来へ

 後日、旧鈴木家住宅が取り壊されるかもしれないと聞いた岡崎さんは「三津浜の文化と歴史をつなげていきたい、この建物を将来に遺したい」と持ち主に思いを伝えた。これを受けて歴史あるものを愛する岡崎さんの人柄やこれまでの活動を知った持ち主が、「あなたにこの家をお売りしたい」と申し出て、2011(平成23)年、岡崎さんがこの家を未来に引き継ぐ新しい家主になった。

昔ながらの工法で、歳月を経るほどに古建築としての価値が高まっていくような修復を

 2014(平成26)年9月、鈴木家住宅は全面的な修繕工事を開始。昭和30年代のリフォームで使われていた当時流行の化粧合板などを撤去し、「歳月を経るほどに古建築としての価値が高まっていくようなリフォームを」と、建築当時の素材感を取り戻す昔ながらの工法で修復を進めた。

 「施工を担当した野の草設計室さん(今治市玉川町)のおかげで、限られた予算内での伝統工法による修理が実現した。県内の文化財修復などに広く携わってきた内子の矢野左官さん(故人)、道後温泉本館の修理にも携わっている宮大工の村上工務店など、本当に多くの方に力を貸していただいた」と岡崎さん。

 「松山市離島振興協会の田中政利元会長のご協力のもと、造園は、臨海建設(古三津6)の岩崎吉典社長、欄間の修理は怒和島の建具職人、中村満さんと、怒和島の方々にも大きな力添えを頂いた」とも。

修理中の旧鈴木家住宅・書院の欄間(左)と、欄間の修理を行った中村満さん(右)

 「邸内に残されていた大量の本の片付けは、浮雲書店(柳井町1)、蛙軒(三津3)、ボランティアスタッフの協力がなくては実現できなかった。本当にたくさんの方にお世話になって実現できた改修工事。感謝してもしきれない」と話す。

膨大な書籍が残されていた旧鈴木家住宅。現在も一部の書籍は邸内で手に閲覧できる

新しいものを取り入れる港町ならではの「ハイカラな心意気」を映す建築

 同住宅の1階は、木格子と板のれんの純和風な意匠を凝らした造り。一方、2階の外壁は上部が漆喰(しっくい)で塗られた和風、下部は石造り風の外観と三連並んだ格子窓に洋風の袖壁を備えており、古いものと新しいものを取り入れようとする港町ならではのハイカラな心意気を映し出している。

 登録有形文化財指定の決め手は「建物の外観が建てられた当時そのままのものであること」だった。

土壁や木材が纏う昔の空気に触れ、先人の遺した文化に浸る時間

 「今でこそ古い町並みが残る場所として知られ『三津だから』訪れる人がいるこの場所も、15年前は知る人も少なかった『三津なのに』、古い文化を遺したいという若者が集ってくれていた」と話すのは当時を知る地元の女性。

 「古民家や古い町並みは、取り壊すともう二度と戻ってこない。そのことを痛感している岡崎さんや保存活動に携わる人たちの熱意とこれまでの歩みのおかげで、今もこうして木村邸や旧鈴木家住宅で家の土壁や木材がまとう昔の空気に触れられ、先人が遺した文化に浸ることができる」と感謝を口にする。

歴史ある街並みが至る所に残る三津浜地区。三津2丁目付近の街並み(右)と、大塚恭子さんの水彩画作品(左)

 「地元の高校で国語の先生をしていた鈴木家の三代目・清さんの教え子が、今でも旧鈴木家住宅を訪ねて来てくれる」と岡崎さん。「私の母も清さんに教えてもらったそう」と笑顔を見せる。

 「戦前のものは、日本の風土の中で生まれ、日本の風土に適したものが多い。循環型・未来型な造りで、役割を終えても自然に還ったり使い回したりできる。古いものが大事にされ未来につながる。そういうものが残っていく隙間やゆとりとして三津があればいいなと思っている」と未来に期待を込める。

120年の歴史を越えて、日本の伝統文化と三津の歴史を感じられる場所へ

「旧鈴木家住宅」では、2020年4月に民泊を開始。

「宿泊は1日1組限定で4人まで。テレビとエアコンはありません」と岡崎さん。「夏は蚊帳(かや)をつり、冬は湯たんぽを入れて眠る夜。炭火の掘りごたつで温まる気持ち良さもぜひ経験してほしい。欄間や障子越しの光、庭の木々のかげや通り抜ける風に時間の移ろいを感じながら心地よい時間を過ごしてほしい」と話す。

中庭に面した障子とガラス戸の部屋(左)、夏の夜の宿泊客には蚊帳をつる(右)

 現在はテレワークプランをはじめ、レンタルスペースとして利用できるほか、お茶会や書道教室、着物市、小さな展示会なども開催して、日本の伝統文化と三津の歴史を感じながらゆったりと過ごせる時間と場所を提供していく。


 

 「今後はカフェの併設も検討している」と岡崎さん。「三津の歴史や文化を体感できるこの場所を、もっとたくさんの方に、気軽に楽しんでいただけるようになれば」と笑顔を見せる。
 

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