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松山に海外の風を届けた輸入雑貨店「A-one」 年末で40年の歴史に幕

ファイナルセールでにぎわう「A-one」店頭で社長の田中さん

ファイナルセールでにぎわう「A-one」店頭で社長の田中さん

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 松山の銀天街入口で40年にわたって親しまれてきた輸入雑貨店「A-one」(松山市湊町4、TEL 089-921-4034)が12月28日に閉店する。

 同店のオープンは1981(昭和56)年7月19日。松山で初めての輸入雑貨店として、社長の田中保さんやスタッフがセレクトした外国の珍しいお菓子やポップでおしゃれな文具、化粧品などを取りそろえてきた「A-one」には、特別な思いを持つ人も多い。

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 閉店を知った人からはSNSを通じて「松山ではここだけの、おしゃれな輸入雑貨やコスメがたくさんあった。海外への憧れの扉を開いてくれる場所だった」「初めてできた彼女と店に行ったのを今でも覚えている」「全てがキラキラ輝いて、こんなポップな世界があるんだと感動した。当時購入したシャープペンシルを今でも愛用している」など、数多くのコメントが寄せられている。

 社長の田中保さんは中学生のころから、現在と同じ場所で父親が営む「味加久(みかく)食堂」を手伝っていたが、代替わりに際して輸入雑貨店への転換を決意したという。

 「A-oneオープンまでの道のりは、まさに紆余曲折だった」と田中さん。「大学時代には、広島にあるレストラン併設のベーカリーで製パンの修業を積み、卒業後に帰郷して、実家の食堂でハンバーガーやサンドイッチを販売した時期もあった。大学卒業後には父の勧めで大阪の玩具問屋に勤め、実地で流通を学んだこともある。最先端の流行を肌で感じるために、と知人の紹介で訪れた東京では、当時流行していたワインとイタリア料理に目を付け、食堂をイタリアンレストランに方向転換。うどんや焼きそばを求めてやってくる常連のお客さんにそっぽを向かれてしまったのも、今思えば懐かしい思い出」と当時を振り返る。

 そうした中、思い出したのが、大学時代を過ごした大阪で印象に残っていた輸入雑貨店「ソニープラザ」だった。「あんな店をやりたい」とすぐに本部に電話。同時期、松山でパートナーシップ店の開店を打診していた他社との競合の末、オープンの権利を勝ち取った。

 開店準備と前後して、同年5月にお見合いで出合った明子夫人とトントン拍子に結婚が決まった田中さん。「新婚旅行は東京で、ソニープラザ店頭での研修。私は渋谷、妻は新宿の店で、立ち仕事に慣れない妻から怒られたのも懐かしい」と笑顔を見せる。

 「現在の地下1階・地上2階へと大きく改装したのは1992(平成4)年のこと。バレンタインデーやクリスマスともなると、妻と2人で『店の床が抜けるんじゃないか』と心配してしまうくらい、大勢のお客さんが来てくれた」と話す。

 「A-One」の店名の由来について、長女のエリナさんは「店名の『A』は、母の名前『アキコ』の頭文字。『one』は英語で『運命の人』という意味」と話す。「この店は、父からの母への壮大なプレゼントだった、と思っている。インターネットが私たちの生活を変え、世界が小さく感じられる今、愛媛に海外商品を届けるというこの店の役目が終わったのだと思う」と40年の歴史を振り返る。

 「今後の予定を聞かれるのだが、現在は白紙の状態。市駅前の再開発も進む中、商店街入り口の立地を生かしてインパクトのあることができればうれしいが、先のことを考えるのが難しい時代。先のことについては、家族で相談しているところ」と田中さん。

 同店では「40年分のありがとう」の気持ちを込めたクリスマスプレゼントとして28日の最終日まで、セールを行っている。

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